「昔ほど感じなくなった」と言う人が、思っている以上に多い。
年齢のせいだと言う人もいる。パートナーへの慣れだと言う人もいる。でも私は、それだけが理由とは思っていない。多くの場合、身体が「感じること」をゆっくりと閉じていく過程には、もっと繊細な事情がある。
「感じる」とは何をすることか
感じるとは、受け取ることだ。
触れられたとき、その感触を身体の表面で受け取り、次に内側へ伝える。この二段階が、意識していないとどこかで止まることがある。触れられてはいるが、意識が別のところにある。あるいは、感じることへの微かな抵抗がある。
「感じられない」と思っている人の多くは、感覚そのものが失われているわけではない。感覚はあるが、それを受け取る意識の回路が細くなっている——そういうケースが多いと私は考えている。
身体は「無視」を覚える
身体には、繰り返しに応答する性質がある。
忙しさの中で感覚を脇に置き続けると、身体はやがて「感じても意味がない」という学習をする。これは病気でも異常でもなく、適応だ。ただ、その適応が積み重なると、いざ感じたいときに身体の反応が薄くなる。
逆に言えば、日常の中で「身体の感覚に気づく」習慣を少しずつ取り戻していくことで、その回路は再び開き始める。これは特別な技術や訓練ではなく、意識の向け方の問題だ。
日常の中でできること
大げさな実践は必要ない。
たとえば、湯船に浸かるとき、お湯の温度と圧力を意識して受け取る。食事のとき、最初の一口の温度と香りに少しだけ集中する。パートナーに触れられたとき、その感触をただ「感じようとする」。これだけでいい。
大事なのは、感じることを「評価しない」ことだ。感じた/感じなかった、よかった/よくなかった——そういう判断を後ろに置いて、ただ受け取る練習をする。評価の意識が入ると、感覚はすぐに思考に変換されてしまう。
パートナーとの文脈で
二人の間で「感じる」ことが少なくなったとき、それをすぐに「愛情の問題」に結びつけなくていいと思う。
感度は、関係性だけでなく、自分の状態にも大きく左右される。疲れているとき、自分を後回しにしているとき、感覚は細くなる。まず自分の身体と対話することが、二人の間の感覚を取り戻す入口になることが多い。
「感じる力」は、誰かに与えてもらうものではなく、自分の内側から育てるものだ。それが育つにつれて、パートナーとの時間の質も変わっていく——というのが、私の実感だ。